August 22, 2008
ああ、飯は互いにわかちあって食べるもの
Gospel Soup (75) ああ、飯は互いにわかちあって食べるもの
この夏は、とりたてて大きな旅行はしなかったのですが、気持ちの上では、なんだかアフリカやイタリアまで長い旅をしたような、というか、逆に旅の出発点に立ったようなというか、不思議な夏でした。ゴスペルソングではありませんが、今、心に響いているのは、韓国の詩人・思想家の金芝河(キム・ジハ)のこの詩です。
飯(めし)は天 金 芝河(キム・ジハ)
飯は天です
天を独りでは支えられぬように
飯は互いに分かち合って食べるもの
飯は天です
天の星をともに見るように
飯はみんなで一緒に食べるもの
飯は天です
飯が口に入るとき
天を体に迎えます
飯は天です
ああ 飯は
みんなが互いに分かち食べるもの
元々のココロの旅の始まりは、まだアパルトヘイトの傷あと残る南アフリカの旧黒人居住地ソウェトの、ソウェト・ゴスペル・クワイヤの素晴らしい歌声にしびれてしまったのが、去年の春。これがきっかけで、皆さんとソウェト・ゴスペル・クワイヤの日本版公式ファンサイトを作ったのが今年の春。その原稿を書くために、南アフリカのことを調べていたら、南アフリカという国の、困難な現状をも色々知ることになります。
この夏は、とりたてて大きな旅行はしなかったのですが、気持ちの上では、なんだかアフリカやイタリアまで長い旅をしたような、というか、逆に旅の出発点に立ったようなというか、不思議な夏でした。ゴスペルソングではありませんが、今、心に響いているのは、韓国の詩人・思想家の金芝河(キム・ジハ)のこの詩です。
飯(めし)は天 金 芝河(キム・ジハ)
飯は天です
天を独りでは支えられぬように
飯は互いに分かち合って食べるもの
飯は天です
天の星をともに見るように
飯はみんなで一緒に食べるもの
飯は天です
飯が口に入るとき
天を体に迎えます
飯は天です
ああ 飯は
みんなが互いに分かち食べるもの
元々のココロの旅の始まりは、まだアパルトヘイトの傷あと残る南アフリカの旧黒人居住地ソウェトの、ソウェト・ゴスペル・クワイヤの素晴らしい歌声にしびれてしまったのが、去年の春。これがきっかけで、皆さんとソウェト・ゴスペル・クワイヤの日本版公式ファンサイトを作ったのが今年の春。その原稿を書くために、南アフリカのことを調べていたら、南アフリカという国の、困難な現状をも色々知ることになります。
そして友人のソウェトファンの、N子さんがアフリカン・ゴスペルのサークルを立ち上げたことで、mixiのMさんという方から、大阪の釜ガ崎(あいりん地区)で、多くの日雇い労働者やホームレスの中に交わって活動を続けていらっしゃる本田哲郎神父の存在を知り、この夏、著書の「釜ガ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に」という本を読んで、これまた目からウロコというか、ココロの中に、あたたかな光と重苦しい鉛が両方飛び込んできたような衝撃を受けました。
釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に
おそらく「今までの人生で影響をうけた本を、5冊挙げよ」とかいう質問が出されたら、間違いなくこの本もその一冊いれることになるでしょう。
そして、この本田神父の盟友というのが、なんと!ソウェトの南アフリカで活動中の、アルバート・ノーラン神父だということも、Mさんから教えていただき(感謝感謝)、この数珠つながりはまた、南アフリカにループを描いて、つながって戻るのでした。南アフリカにいます神―福音の挑戦
あまりにこう感動したり、ココロがすとんと納得できるようなことに出会うと、案外人間というのは、言葉がでないもんなんですね。まだこれらの本についてうまく語れません。「釜ガ崎と福音」については、どのページも示唆に富んでいるので、下手に「要約」などしようとすると、逆に本田神父の語りたいことの本質からずれてしまいかねませんから。
少しだけ書くと、本田神父は、カトリック・フランシスコ会の日本管区長まで勤め、新共同訳の聖書の編纂にも携わったこられた方。釜ガ崎のドヤ街で支援活動を行い、貧困な人たちと実際に真っ正面から向き合っているうちに、
「神は一番貧しく 小さくされた者と共にはたらく」
ということに気付かれると共に、あらためてギリシャ語の原語から、聖書を読み直して解釈・訳を出版されています。そして、単なる「支援」や、教義解釈にとどまらず、痛みの共感から実際に、共に活動することへと行動されています。
それにしても恥ずかしいけど、私は、な〜んにも知りませんでした。我が家から電車で一時間も行けば、日々食べることも困難な人達と、そういう社会的状況があるということも。
「神は一番貧しく小さくされた者と共にはたらく」という視点で、あらためてゴスペル音楽を聴くと、理屈ではなく「ああ、そうなのか」と、何もかも、すとんすとんとパズルがはまっていくような感じがしました。
本田神父やノーラン神父の活動も、そしておそらくゴスペル音楽も、ただ一時的な、癒しや救いのみならず、病んだり貧しかったり、何らかの苦しみを負った人が、自分の足で立ち上がって人生を歩いていくことの、背中を押すものであることも、共通しているのでしょう。
<映像>
♪ His eye on the sparrow byローリン・ヒル
http://jp.youtube.com/watch?v=k7Pk5YMkEcg
♪ Amazing Grace byリアン・ライムス
http://jp.youtube.com/watch?v=iT88jBAoVIM
♪ゴスペルで人権を学ぼう by文屋範奈
http://jp.youtube.com/watch?v=4A9YmcR1_R8&feature=related
そして、蛇足ながらこの話には続きがあって、、、、。
お盆に実家に帰省した折りに、親戚の叔母の家に行ったら、なんと従姉Aが偶然「釜ガ崎と福音」の本を最近買って、本棚に置いてました。離れていても、同じ本を読んで、まるでつながっていてびっくり。そしてその姉の従姉Bが偶然買っていた、イタリアのアッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)の本を2冊借りて読んでみたら、あれ?本田神父の話と通じるところがあるなあ・・・・、あとで知ったのですが本田神父は、フランシスコ修道会の方。ああ、そういう大きな思想潮流の上にあるのかと、これまたつながって納得。
さらに本田神父のお話の中には、仏教の「悪人正機説」(悪人こそが救われる)を説いた親鸞の話もでてきます。
「そういえば、親鸞といえば、15年前に癌で亡くなった(別の親戚の)叔父(東京で、身体障害者の養護学校の教師をしていました)が好きだったな〜」と、実家で、叔父が書いた生前に書いた文章を読んでいたら、叔父は
「自分の仕事の中で、障害を持つ友人と出会えたことは、人生の<たから>だった」
と書いてあって、そうか、叔父もいわゆる弱者の人との共感の中から、宝を得たんだなあ・・・、若くに亡くなったけれども、心の中は案外、豊かだっただったのかもしれないと、叔父の人生を見直したような気になりました。
冒頭に挙げた金芝河の詩は、その叔父の書いた文の中に引用されていたものです。
お盆ですしねえ、「そういうことなら、この詩も読みなさい。どうしたらいいか、考えなさい」と教えに来てくれたような詩です。夏休みに、いっぱい宿題もらってしました。
ああ 飯は みんなが互いに分かち食べるもの
家庭とか社会とか、もちょっと広く目を広げて世界でも、人間の社会的生活の、生きる基本って、たぶんこれなんでしょう。
釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に
おそらく「今までの人生で影響をうけた本を、5冊挙げよ」とかいう質問が出されたら、間違いなくこの本もその一冊いれることになるでしょう。
そして、この本田神父の盟友というのが、なんと!ソウェトの南アフリカで活動中の、アルバート・ノーラン神父だということも、Mさんから教えていただき(感謝感謝)、この数珠つながりはまた、南アフリカにループを描いて、つながって戻るのでした。南アフリカにいます神―福音の挑戦
あまりにこう感動したり、ココロがすとんと納得できるようなことに出会うと、案外人間というのは、言葉がでないもんなんですね。まだこれらの本についてうまく語れません。「釜ガ崎と福音」については、どのページも示唆に富んでいるので、下手に「要約」などしようとすると、逆に本田神父の語りたいことの本質からずれてしまいかねませんから。
少しだけ書くと、本田神父は、カトリック・フランシスコ会の日本管区長まで勤め、新共同訳の聖書の編纂にも携わったこられた方。釜ガ崎のドヤ街で支援活動を行い、貧困な人たちと実際に真っ正面から向き合っているうちに、
「神は一番貧しく 小さくされた者と共にはたらく」
ということに気付かれると共に、あらためてギリシャ語の原語から、聖書を読み直して解釈・訳を出版されています。そして、単なる「支援」や、教義解釈にとどまらず、痛みの共感から実際に、共に活動することへと行動されています。
それにしても恥ずかしいけど、私は、な〜んにも知りませんでした。我が家から電車で一時間も行けば、日々食べることも困難な人達と、そういう社会的状況があるということも。
「神は一番貧しく小さくされた者と共にはたらく」という視点で、あらためてゴスペル音楽を聴くと、理屈ではなく「ああ、そうなのか」と、何もかも、すとんすとんとパズルがはまっていくような感じがしました。
本田神父やノーラン神父の活動も、そしておそらくゴスペル音楽も、ただ一時的な、癒しや救いのみならず、病んだり貧しかったり、何らかの苦しみを負った人が、自分の足で立ち上がって人生を歩いていくことの、背中を押すものであることも、共通しているのでしょう。
<映像>
♪ His eye on the sparrow byローリン・ヒル
http://jp.youtube.com/watch?v=k7Pk5YMkEcg
♪ Amazing Grace byリアン・ライムス
http://jp.youtube.com/watch?v=iT88jBAoVIM
♪ゴスペルで人権を学ぼう by文屋範奈
http://jp.youtube.com/watch?v=4A9YmcR1_R8&feature=related
そして、蛇足ながらこの話には続きがあって、、、、。
お盆に実家に帰省した折りに、親戚の叔母の家に行ったら、なんと従姉Aが偶然「釜ガ崎と福音」の本を最近買って、本棚に置いてました。離れていても、同じ本を読んで、まるでつながっていてびっくり。そしてその姉の従姉Bが偶然買っていた、イタリアのアッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)の本を2冊借りて読んでみたら、あれ?本田神父の話と通じるところがあるなあ・・・・、あとで知ったのですが本田神父は、フランシスコ修道会の方。ああ、そういう大きな思想潮流の上にあるのかと、これまたつながって納得。
さらに本田神父のお話の中には、仏教の「悪人正機説」(悪人こそが救われる)を説いた親鸞の話もでてきます。
「そういえば、親鸞といえば、15年前に癌で亡くなった(別の親戚の)叔父(東京で、身体障害者の養護学校の教師をしていました)が好きだったな〜」と、実家で、叔父が書いた生前に書いた文章を読んでいたら、叔父は
「自分の仕事の中で、障害を持つ友人と出会えたことは、人生の<たから>だった」
と書いてあって、そうか、叔父もいわゆる弱者の人との共感の中から、宝を得たんだなあ・・・、若くに亡くなったけれども、心の中は案外、豊かだっただったのかもしれないと、叔父の人生を見直したような気になりました。
冒頭に挙げた金芝河の詩は、その叔父の書いた文の中に引用されていたものです。
お盆ですしねえ、「そういうことなら、この詩も読みなさい。どうしたらいいか、考えなさい」と教えに来てくれたような詩です。夏休みに、いっぱい宿題もらってしました。
ああ 飯は みんなが互いに分かち食べるもの
家庭とか社会とか、もちょっと広く目を広げて世界でも、人間の社会的生活の、生きる基本って、たぶんこれなんでしょう。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by べちゃん August 22, 2008 21:26
家にいながらにして、壮大なこころの旅をして出会いがあったということですね。
すごいなぁ、数珠つながり具合が。
私などが<神のお導き>などというと、
絶対に母は笑いますが(カトリックの人なの)
まさにそれかもしれません。
結局のところ、人とつながっていけるか否かが生きる基本ということかしらん。
すごいなぁ、数珠つながり具合が。
私などが<神のお導き>などというと、
絶対に母は笑いますが(カトリックの人なの)
まさにそれかもしれません。
結局のところ、人とつながっていけるか否かが生きる基本ということかしらん。
2. Posted by shinkai August 23, 2008 01:34
☆べちゃん様
いつもコメントありがとうございます。ええ、本当に「このあと、どうなるんだろう?どこにつながっていくんだろう」とか、最近思います。
>結局のところ、人とつながっていけるか否かが生きる基本ということかしらん。
私は基本的に、性格のおおもとは「人は人、自分は自分」というか、そのぅさっぱりとした(?)個人主義的な人間だと思っているのですが、この年齢になってようやく?人との関わりは「おもろしろいなあ」と思うようになりました。
いつもコメントありがとうございます。ええ、本当に「このあと、どうなるんだろう?どこにつながっていくんだろう」とか、最近思います。
>結局のところ、人とつながっていけるか否かが生きる基本ということかしらん。
私は基本的に、性格のおおもとは「人は人、自分は自分」というか、そのぅさっぱりとした(?)個人主義的な人間だと思っているのですが、この年齢になってようやく?人との関わりは「おもろしろいなあ」と思うようになりました。
3. Posted by まる August 23, 2008 18:41
おひさしぶりです。
本田哲郎神父の本読みたいです。
いつもしんかいさんのブログで色々おしえてもらえてありがたいです。
釜ヶ崎は大阪ではないでしょうか。
以前、しんかいさんと私の職場まで一緒に行ってもらった時、
通ったのと反対方向に行ったほうだと思います。
昨日もテレビで釜ガ崎の現状のことを見ましたが、
私はいつもただすれちがうだけなのが現状です。。
ちょうど、浄土真宗の
「人間回復 仏教が教えるいじめゼロの世界」
『悪人』のいる家っていいなあ 著・土屋 昭之
という本を読んだところです。
うちの子どうしのけんかで、互いに「相手が悪い!」と訴えてくるときなどに
本に書いてあったようなことを伝えたいと思うのですが、なかなかうまくいかないでいます…
その前にまずは自分からだな♪
本田哲郎神父の本読みたいです。
いつもしんかいさんのブログで色々おしえてもらえてありがたいです。
釜ヶ崎は大阪ではないでしょうか。
以前、しんかいさんと私の職場まで一緒に行ってもらった時、
通ったのと反対方向に行ったほうだと思います。
昨日もテレビで釜ガ崎の現状のことを見ましたが、
私はいつもただすれちがうだけなのが現状です。。
ちょうど、浄土真宗の
「人間回復 仏教が教えるいじめゼロの世界」
『悪人』のいる家っていいなあ 著・土屋 昭之
という本を読んだところです。
うちの子どうしのけんかで、互いに「相手が悪い!」と訴えてくるときなどに
本に書いてあったようなことを伝えたいと思うのですが、なかなかうまくいかないでいます…
その前にまずは自分からだな♪
4. Posted by shinkai August 25, 2008 05:55
☆まる様
こんにちは。夏休みお会いしてなくて、お久しぶりです。
>釜ヶ崎は大阪ではないでしょうか。
ひ〜大変失礼いたしました(汗汗)、書き間違いでありまする〜訂正いたしました。ありがとうございました。
>「人間回復 仏教が教えるいじめゼロの世界」
『悪人』のいる家っていいなあ 著・土屋 昭之
なんだかこれも、今回のテーマの本ですね!!!サブタイトルの、『悪人』のいる家っていいなあっていうのも、逆説的で、面白いし♪
教えてくださってありがとう、これも読みたいです。
しかーし、本当に、家庭など実生活の中で、どうしていくかと色々考えてしまいますねえ。一度、子どもと一緒に釜ガ崎い行こうかなとか考えてます。
こんにちは。夏休みお会いしてなくて、お久しぶりです。
>釜ヶ崎は大阪ではないでしょうか。
ひ〜大変失礼いたしました(汗汗)、書き間違いでありまする〜訂正いたしました。ありがとうございました。
>「人間回復 仏教が教えるいじめゼロの世界」
『悪人』のいる家っていいなあ 著・土屋 昭之
なんだかこれも、今回のテーマの本ですね!!!サブタイトルの、『悪人』のいる家っていいなあっていうのも、逆説的で、面白いし♪
教えてくださってありがとう、これも読みたいです。
しかーし、本当に、家庭など実生活の中で、どうしていくかと色々考えてしまいますねえ。一度、子どもと一緒に釜ガ崎い行こうかなとか考えてます。
5. Posted by Q September 02, 2008 14:02
こんにちは〜 すごくいいお話をシェアしてくだっさってありがとうございます。
ちょっとずつあちこちで
ひっかかって
ああ そうだなあって思いました。
アンテナをたてとかないと
見過ごしてしまういろんな 数珠繋ぎ
私も大事にしていきたいです♪
とりあえず歌と勉強にがんばります♪
英語・・・苦手なので(特に子音、LORDとか)、
いつもブログで勉強させていただいてます
ゴスペル出る単ファンでして
更新楽しみにしております。
今月は嵐山音楽祭で歌う予定です
京都、近かったら是非に 遊びに来て下さい〜
超〜楽しい音楽祭ですよ〜
ミクシ遊びに行きました
足跡 「Q」が私です〜
ちょっとずつあちこちで
ひっかかって
ああ そうだなあって思いました。
アンテナをたてとかないと
見過ごしてしまういろんな 数珠繋ぎ
私も大事にしていきたいです♪
とりあえず歌と勉強にがんばります♪
英語・・・苦手なので(特に子音、LORDとか)、
いつもブログで勉強させていただいてます
ゴスペル出る単ファンでして
更新楽しみにしております。
今月は嵐山音楽祭で歌う予定です
京都、近かったら是非に 遊びに来て下さい〜
超〜楽しい音楽祭ですよ〜
ミクシ遊びに行きました
足跡 「Q」が私です〜
6. Posted by shinkai September 02, 2008 17:06
☆Q様
またしてもメッセージ、ありがとうございます。mixiの足跡でページも拝見いたしました!!
あら!実はとってもお近いのですね。嵐山音楽祭は、今年はちょっと伺えないのですが、去年は私のゴスペルの先生のバンドが出演されるということで、聴きに行きましたよ〜!
ゴスペルでる単は、最近さぼっておりまして(えへへ)、失礼しております。また書きま〜す。お近くどうしで、また今後お目にかかることもあるかと存じます。よろしくお願いいたします。
またしてもメッセージ、ありがとうございます。mixiの足跡でページも拝見いたしました!!
あら!実はとってもお近いのですね。嵐山音楽祭は、今年はちょっと伺えないのですが、去年は私のゴスペルの先生のバンドが出演されるということで、聴きに行きましたよ〜!
ゴスペルでる単は、最近さぼっておりまして(えへへ)、失礼しております。また書きま〜す。お近くどうしで、また今後お目にかかることもあるかと存じます。よろしくお願いいたします。